美原電鐵(美原電鉄)

☝ これが美原電鉄の路線。

単線で電車がノコノコと走ってます。

概要

美原電鉄(みはらでんてつ、英文社名:Mihara  Electric  Railway  Co.,  Ltd. )は、大阪府堺市堺区の堺駅から同市美原区の平尾駅までを結ぶ路線を保有・運営する鉄道会社である。

2004年に関西急行鉄道から分離・分社化されて設立された。

社名

美原電鉄の正式な社名は『美原電鐵』である。

『鉄』の漢字が旧字体の『鐵』となっているのは、『鉄』の文字を分解すると『金』(カネ)を『失』うなり、縁起が悪いこと、また、鉄(鉄道)の基本に立ち返るという意味で、あえて旧字体を使用した。

ただし、一般向けには分かりやすさを重視して『美原電鉄』と表記している。

トレードマーク的なアレ

2005年、美原電鉄の営業開始とともに公開された美原電鉄のトレードマーク。

平尾駅に住み着いていた野良猫(*1)を図絵化したものである。

 

 


☝ 美原電鉄のトレードマーク。

  ネコは正義ですよね。

沿革

元々は1924年に南河内電気鉄道として開業した。

南河内電気鉄道は堺市と富田林町(当時)を結ぶ鉄道として計画され、1921年、鉄道免許状下付を受けた。翌年、正式に南河内電気鉄道を設立、2年後の1924年に開業した。

しかし、南河内電気鉄道は資金が十分では無かったため、富田林まで路線を建設する事が出来ず、富田林の手前の平尾止まりとなった。戦時中、地方の中小規模の鉄道会社の多くは大手の鉄道会社に吸収されたり、国有化されたりしたが、南河内電気鉄道は奇跡的にどこにも吸収される事無く残った。

 

南河内電気鉄道は戦後も存続し続けたが、経営状態は芳しくなかった。そのため、当時、企業規模の拡大路線を採っていた近畿日本鉄道(近鉄)に株を買い占められたこともあって、1957年、南河内電気鉄道は実質的に近鉄の傘下に入る事になった。

その後、1963年に南河内電気鉄道の株式は関西急行鉄道に譲渡(*2)され、関西急行鉄道は南河内電気鉄道を吸収合併した。

 

南河内電気鉄道の路線は関西急行鉄道の美原線となったが、美原線は他の関西急行鉄道の路線と接していない事や、長年赤字続きだったため、2000年頃から廃止が検討されていた。(*3)

当時、堺市は美原線(現在の美原電鉄線)の廃止に肯定的だったが、合併相手としていた美原町が存続と補助金の拠出を望んでいて、これに同意しない場合は合併に反対すると表明していた。是が非でも合併して政令指定都市になりたかった堺市は最終的に折れて、美原線の存続と補助金の拠出することに同意、これを受けて美原町は堺市に吸収合併されることに同意した。

これにより関西急行鉄道は美原線への補助金が受けられることになったため、責任体制や経営状態の明確化のため2004年に美原電鉄を設立、翌年に美原線を美原電鉄に譲渡した。

 

 ・1921年 南河内電気鉄道に対し鉄道免許状下付。(堺-富田林間)

 ・1922年 南河内電気鉄道設立。

 ・1924年 堺駅-平尾駅間が開業。(平尾駅-富田林駅は未開業)

 ・1944年 戦争激化に伴い、全面運休に。

 ・1945年 終戦に伴い、運行再開。

 ・1957年 株式の大半を近鉄が保有する事になり、実質的に近鉄の傘下に入る。

 ・1963年 関西急行鉄道と合併し、南河内電気鉄道の路線は関西急行鉄道美原線となる。(*2)

 ・2004年 美原線が分離される事になり、美原電鉄が設立される

 ・2005年 美原電鉄、営業開始。

運行車両

未完成にゃーん。

路線

 ・美原線  堺駅-平尾駅

 

美原電鉄の路線は、この美原線だけである。

ただし、美原電鉄の原型となった南河内電気鉄道では、富田林延伸路線や大阪線の計画があった。 

関急ちゃん

「美原電鉄のマスコットは黒猫なんだねっ♪」


関急郎

「それがどうかしたのか?」


関急ちゃん

「滅茶苦茶カワイイ……(*´Д`)ハァハァ……」


関急郎

「……貴様、あの黒猫を食う気かっ!?」


 *1  余談だが、この図絵化のモデルとなった野良猫は2005年に美原電鉄の飼い猫になった。

     また、2007年には会社に大きく貢献したとして平尾駅の名誉駅長に、さらには、2009年に名誉社長に就任した。

 *2  当時、近鉄・関急の二社は奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)を傘下に収めるため奈良電気鉄道の株式争奪戦が起きていた。

     双方が買い進めた結果、双方が奈良電鉄の株式を分け合うような形でほぼ拮抗したため、奈良電鉄はまた裂きの状態となった。

     そのため、関西経済団体連合会が調停に乗り出し

     調停の結果、奈良電鉄の路線は近鉄に吸収され、バス路線は関急が継承することになった。

     また、同時に近鉄が実質的な傘下に収めていた南河内電気鉄道を近鉄から関急へ譲渡されることになった。

 *3  廃止した場合、周辺に路線のある近鉄と南海を喜ばせる結果になるため、廃止に踏み切れないでいた。